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 福岡を中心に九州エリア全域の地域ニュース、文化ニュース、スポーツニュース等を配信。
続々・鹿児島の歴史(11)~明治維新と薩摩藩~
続々・鹿児島の歴史(11)~明治維新と薩摩藩~
西洋列強の進出に対して、情報の収集が早く、領土への危機意識が強かったことで薩摩藩は、琉球貿易を通じて経済的な利益を上げるだけでなく、海外の情報をいち早く得ることが可能であり、西洋列強の状況など膨大な情報を収集・分析していました。これには島津氏が14世紀から海外貿易に関与し、利益を上げていた歴史的背景も関係します。
鹿児島の歴史
人生100歳時代というけれど…(3)
人生100歳時代というけれど…(3)
興味深い記事を読んだ。朝日新聞『GLOBE』2018年1月7日号の「100歳までの人生設計」という特集記事に、シンガポールの実情が報告されている。特徴的なことが「生涯働くのが幸せ」という小見出しに現れている。日本を遙かに上回るスピードで超高齢者社会を迎えているのがシンガポール。そこには日本のように「先行き不安とあきらめ」という概念はない。
ホークス、オフシーズンの選手出演予定を発表
ホークス、オフシーズンの選手出演予定を発表
福岡ソフトバンクホークスは2019年オフシーズンの選手のイベント出演予定(11月末~12月前半)を発表した。
『脊振の自然に魅せられて』「脊振山系が日本山岳遺産に認定」
『脊振の自然に魅せられて』「脊振山系が日本山岳遺産に認定」
ワンゲル仲間や学生、早良区役所と脊振山系に道標を設置して10年が経過した。これまでクリーンアップ登山や山開きを開催し、脊振の自然に触れる機会を提供してきた。おかげで山でのゴミをほとんど見かけなくなった。今年7月、「こんな申請もありますよ」と環境省関係者から日本山岳遺産基金のチラシを手渡された。
脊振の自然に魅せられて
続々・鹿児島の歴史(10)~薩英戦争と西南戦争~
続々・鹿児島の歴史(10)~薩英戦争と西南戦争~
薩英戦争について。1863年の薩英戦争は、前年の生麦事件がきっかけです。62年公武合体策をすすめるため久光は兵1000余人を率いて上京します(藩主でもない久光の上京実現のために藩はさまざまな画策をしました)。江戸からの帰国途中、神奈川の生麦村で行列に入ってきたイギリス人を斬殺します。薩摩は賠償金支払いを拒否(幕府は受諾)したため、翌年薩摩とイギリスの直接交渉となります。
鹿児島の歴史
人生100歳時代というけれど…(2)
人生100歳時代というけれど…(2)
「介護保険法」は平成元年、「地域における医療および介護の総合的な確保の促進に関する法律」としてスタートし、2014年6月25日に改正された。その第一条に、「地域包括ケアシステムの構築」が明記され、第二条で、「地域ケアシステムとは、地域の実情に応じて、高齢者が、可能な限り、住み慣れた地域でその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように、医療、介護、介護予防、住まいおよび自立した日常生活の支援が包括的に確保される体制をいう」と明記されている。
未来の「百獣の王」
未来の「百獣の王」
抱かれた子ライオンはおとなしく、まるで笑っているかのように見える。その姿は「百獣の王」というより「かわいい猫」のようだ。
人生100歳時代というけれど…(1)
人生100歳時代というけれど…(1)
「100歳」という言葉がいたるところに並び、100歳まで生きることが奨励されるこの国。しかし、誰もが「100歳まで長生きしたい」と感じているのだろうか。そして、介護保険の地域包括ケアシステムをつくった行政の意図とは。生きることが至上の価値とされる一方で、安楽死など自分で自分の寿命を決めることはできない。命の価値を見つめ、100歳まで生きる現実に迫った。
続々・鹿児島の歴史(9)~奄美の砂糖2~
続々・鹿児島の歴史(9)~奄美の砂糖2~
4期です。これまでの政策を「緩ガセ過ギ候(甘やかしすぎ)」として、徹底的に厳しくします。1830年からの専売制度は、2回目と違い、島での買い上げで隠れて売れば死罪、金銭流通も禁止したため、生活必需品は砂糖交換による藩の販売で、値段も藩が一方的に決めました。この10年間の年平均出荷額は、米6000両に対し砂糖23万5000両です。3期の砂糖は12万両ですので4期は約2倍です。
鹿児島の歴史
アビスパ、新監督に長谷部氏~強化部長は柳田氏
アビスパ、新監督に長谷部氏~強化部長は柳田氏
アビスパ福岡の2020年シーズンの監督に長谷部茂利氏の就任が決定した。長谷部氏は1971年生まれの48歳。中央大学を卒業後、ヴェルディ川崎や川崎フロンターレなどでプレー。2006年から指導者に転じ、2018年からは水戸ホーリーホックの監督として指揮を執っていた。
アビスパ福岡
筥崎宮、名誉宮司・宮司就任祝賀会を開催
筥崎宮、名誉宮司・宮司就任祝賀会を開催
筥崎宮名誉宮司・筥崎宮宮司の就任祝賀会が11月26日、福岡市内のホテルで開催された。日本の三大八幡に数えられ、筥崎八幡宮とも呼ばれる筥崎宮は、4月1日付で、第56代宮司の田村靖邦氏が名誉宮司に、権宮司の田村邦明氏が第57代宮司に就任している。
続々・鹿児島の歴史(8)~奄美の砂糖1~
続々・鹿児島の歴史(8)~奄美の砂糖1~
奄美の砂糖については、主に江戸期の薩摩藩の財政と関連させて述べてきましたが、2回に分けてもっと総合的に述べたいと思います。江戸期の奄美は、砂糖でいえば、1期(1609~1690年頃)、2期(1690年頃~1747年)、3期(1747~1830年)、4期(1830~1867年)に分けられます。
鹿児島の歴史
続々・鹿児島の歴史(7)~郷中教育~
続々・鹿児島の歴史(7)~郷中教育~
ここからは、薩摩藩の子弟教育として著名な郷中(ごじゅう)教育や奄美の砂糖、薩英戦争や西南戦争、藩外・県外の人物が江戸末期や明治中期の鹿児島を紹介した書物2冊、特産の焼酎、シンボル桜島、さつまいも等について述べます。
鹿児島の歴史
続々・鹿児島の歴史(6)~江戸・明治初期と大隅~
続々・鹿児島の歴史(6)~江戸・明治初期と大隅~
外城制度は領内を鹿児島城下と113の外城に分けたものですが、外城の内訳は地頭所(藩直轄)92外城、私領(重臣の一門・一所持支配)21外城です。私領21は薩摩に13、大隅は種子島(種子島氏)を含めて7、日向国諸県郡は1(都城島津家)です。戦
鹿児島の歴史
続々・鹿児島の歴史(5)~九州統一と大隅~
続々・鹿児島の歴史(5)~九州統一と大隅~
南北朝期から戦国期にかけて、島津氏においても一族や他国人の反乱・抵抗が相次ぎ、必ずしも安定していなかったこと、15代貴久が実久との家督相続争いに勝ち、薩摩・大隅の統一に向け動き出したこと等は前述しました。
鹿児島の歴史
アビスパ、久藤監督が退任~今シーズン限り
アビスパ、久藤監督が退任~今シーズン限り
アビスパ福岡は22日、久藤清一監督が契約満了に伴い、今シーズン限りで退任することを発表した。24日(日)の鹿児島ユナイテッドFC戦が最後の試合となる。
アビスパ福岡
続々・鹿児島の歴史(4)~鎌倉・南北朝期の大隅~
続々・鹿児島の歴史(4)~鎌倉・南北朝期の大隅~
1197年惟宗忠久が薩摩・大隅の守護職に任命(後日向も)されますが、1203年比企氏が滅亡すると、一時忠久は失脚します。その後薩摩の守護は北条時政、大隅の守護は1217年以降は北条義時、島津荘惣地頭職も1205年以前は時政の在任が確認されています。
鹿児島の歴史
『脊振の自然に魅せられて』「見事な脊振の紅葉」
『脊振の自然に魅せられて』「見事な脊振の紅葉」
「そろそろ脊振の紅葉時期だ」。4駆のマイカー(トトロ2号)で椎原のバス停から板谷峠に続く県道136号の山道を走る。上り坂の中間地点にある荒谷集落付近は2年前に起きた土砂崩れの修復中で「迂回してください」との表示。細い集落の道路を何度かハンドルを切り板谷集落へ。しばらく県道を進み板谷集落から自衛隊道路へと入る。
脊振の自然に魅せられて
続々・鹿児島の歴史(3)~大隅の神宮と寺院~
続々・鹿児島の歴史(3)~大隅の神宮と寺院~
平安時代、政府の地方支配は重税の関係から徴税が困難な状況で、深刻な状態でした。『今昔物語』巻二四に「大隅国の郡司和歌を読めること」という説話史料があります。趣旨は、大隅守(10世紀後期の桜島忠信といわれている)が、政務不十分(納税を果たせない)の郡司を罰そうとしたところ、老人で、詠んだ和歌(「老いはてて雪の山をばいただけど霜と見るにぞ身はひえにけり」)の内容を受けて釈放したというものです。
鹿児島の歴史
続々・鹿児島の歴史(2)~大隅国と多禰嶋の成立~
続々・鹿児島の歴史(2)~大隅国と多禰嶋の成立~
683~685年、政府は国境を確定し、これまでの国造支配単位のクニから山川等を国境とし、国司を派遣する国(令制国)を設定します。西海道では、690年の筑後国が令制国の初見で、その後6カ国ができます。大隅地方は日向国に属し、薩摩地方は肥後の影響下の出水を除き、日向国の一部でした。
鹿児島の歴史