2021年12月09日( 木 )
by データ・マックス

『脊振の自然に魅せられて』「道標の手入れ作業」

手入れをした脊振山頂の道標 ドームは航空自衛隊のレーダー
手入れをした脊振山頂の道標 ドームは航空自衛隊のレーダー

 佐賀県・天山スキー場でのインストラクターの仕事も一段落し、脊振への思いが強くなってきた。

 2月13日(木)、当日の天気予報は晴れで、気温は18度となっていたので、かねてから気になっていた脊振山頂の看板修復に車で向かうことにした。

自宅のある福岡市早良区百道から標高950mの山頂駐車場へは約1時間で着く。海抜700mの板谷集落から右折し、自衛隊道路のカーブを曲がりつつ、登っていく。

 「ここは樹氷がきれいな場所だったな」「ここは昨年、大量のゴミ処理をしたところだ」と、山での記憶をたしかめつつアクセルを踏みこむ。トリップメーターを見ると板谷集落から山頂駐車場までは約5km、10分の時間を要した。

 山頂駐車場の気温は10度で市街地との温度差は8度。市街地とは違う景色が目の前に広がっている。ブナやリョウブ、マユミなど、山の樹々が葉を落とし、春の訪れを待っているかのようである。

 今日はいつもより停車台数が多く、バックできれいに整列して停めてある。車から降りてくる「つなぎの制服」を着た女性を見かけた。何かの訓練なのだろうか?

 車からメンテナンス道具と電動ドリルを出し、長靴に履き替えて、歩いて10分の山頂へと向かう。久しぶりの山歩きなので、なかなか足が上がらない。

 昨年12月のある寒い日、私が墨で「脊振山」と揮毫した山頂の道標の文字が薄れていたので、墨汁で文字を重ね書きした。そして、重ね書きした文字の墨汁が乾かないうちに耐水効果がある柿渋を全体に塗ったのだが、その柿渋がにじんでしまい、全体が黒ずみ、道標が醜くなってしまった。補修を完了した後、「文字の周りを磨いて目立つようにしなければ」と気になっていた。

 道標のボルト6本をラチェット(便利なスパナ)で外す。これまで道標設置に使ってきたボルトの口径はすべて17ミリである。山頂に看板を設置してから7年が経つ。ラチェットには、いつでもボルトの補強ができるように17ミリのソケットをセットして持参している。

 ボルトは錆びていたが、取り替える程ではなかった。電動ドリルに研磨用工具を取り付けて、文字の周りを磨いていった。すると、黒ずんだ木目が輝いてきた。

 30分ほど作業をし、「1,055m標高」という墨文字を白ペイントで上塗りした。ペイントを乾くのを待つ。山頂からの展望はスモッグのせいなのか春霞のせいなのかはわからないが、博多湾や佐賀県方面の山々がぼんやりとしか見えなかった。

 ペイントが乾いたので、外したボルトを締めて道標に取り付けた。支柱も小石を周りに埋めて補強し、道標は見事に「生き返った」。

 7年前にこの道標を設置したときには、岩盤の掘削も考えて発電機まで荷揚げし、作業した。西南学院大学のワンゲルの学生、早良区役所企画課の女性職員、伊都遊歩道クラブなど、約15名が参加して道標を設置した。当時のことを思い出しつつ、しばらく山頂にて陽だまりを楽しんだ。

 作業を終え、石段を降りると、通信基地で先ほど見かけた制服の人たちが大勢いた。駐車場で帰り支度の人に聞くと通信訓練があったということだった。

脊振山は標高が高いので、航空自衛隊レーダー基地、新聞社の通信設備などがある。警察の通信基地は規模の大きいものだった。

 山頂での作業も終え、持参したお汁粉粉末をコップに入れ、サーモスに入れてあったお湯を注ぐ。カンパンを頬張り、お汁粉をすすりながら車内でくつろぐ。カンパンは保存がきくので、非常食として持参するようにしている。

 春の花のオオイヌノフグリが駐車場のはしで咲いていた。山頂近くは氷点下なのだが、暖冬の影響で春の兆しを見ることが出できた。オオイヌノフグリの撮影をして、来たときとは反対の佐賀方面の林道を下り、脊振神社に向かった。

 脊振神社で脊振山系が「2019年度日本山岳遺産」に認定された報告をし、写真集『脊振讃歌II』を奉納した。

オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢) 直径1㎝にも満たない花です
オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)直径1㎝にも満たない花です

2020年2月14日
脊振の自然を愛する会
代表 池田 友行

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