2024年04月26日( 金 )

ともに発展してきた県都と泉都、大分&別府の今昔、そして未来は――(3)

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市制とともに都市化が進み、陸・海の交通網も充実

府内城跡につくられた大分城址公園
府内城跡につくられた大分城址公園

 1871(明治4)年8月の廃藩置県によって、旧・豊後国内に置かれていた杵築県、日出県、府内県、臼杵県、日田県、森県、岡県、佐伯県の8県などを併合して「大分県」が誕生。県庁はひとまず旧府内城に置かれた(その後、1921年に県庁舎を新設・移転)。その後、73年から76年にかけて旧府内城の中堀および外堀が埋め立てられて市街地が拡大していき、現在の大分市につながる基礎が築かれていくことになる。

大分県庁(現在の庁舎本館は1962年11月竣工)
大分県庁(現在の庁舎本館は1962年11月竣工)

 その後、89年4月の町村制施行によって現在の大分市域には、大分町、西大分町、鶴崎町、佐賀関町の4町をはじめ、34村が誕生。なかでも旧府内藩の系譜を受け継ぐ大分町は、県庁所在地として大分県の政治的中心地となった。1907年4月には大分町が西大分町と荏隈村、豊府村の3町村を編入。11年4月には大分町が市制施行して「大分市」が誕生した。その後、39年8月には八幡村、滝尾村、東大分村を、43年11月には日岡村を編入し、市域を拡大している。

 別府市域でも1889年の町村制施行で別府村、浜脇村、石垣村、朝日村、御越村の5村が誕生。93年4月には町制施行で別府村が別府町に、浜脇村が浜脇町になった。1906年4月には別府町と浜脇町が対等合併して改めて別府町となり、24年4月の市制施行によって「別府市」となった。その後、35年9月には朝日村、石垣村、亀川町を編入して市域を拡大している。

 こうして両市が、明治期以降の市制施行や近隣町村の編入による市域拡大で自治体としての体を成していくにつれて、それぞれの都市化も進んでいくことになる。

 1871年5月には別府港(楠港)が開港し、73年には大阪開商社の蒸気船・益丸が就航。その後も大阪と別府を結ぶ瀬戸内航路はにぎわい、別府は次第に人々が集まる温泉都市へと発展を遂げていった。

 75年には大分~別府間の道路工事が実施され、大分街道として一等道路に指定(現・国道10号、別大国道)。77年11月には県内初の銀行として第二十三国立銀行(97年5月に(株)二十三銀行に改組)が開業。80年11月からは大分港築造計画が開始され、84年に菡萏(かんたん)港(大分港の前身)として開港し、同時に大阪商船が就航を開始した。87年には養蚕の官営模範工場(明治政府の殖産興業政策で、民間の模範となるべく創設された工場)として大分製糸所が操業を開始。93年2月には大分銀行が開業した。

 96年8月には豊州電気鉄道(株)が設立され、1900年5月には九州初の電気鉄道および路面電車として、別大国道に沿うかたちで堀川茶屋町口(大分町)~別府停留場(別府町)間の約10.6kmが開通した。後に「別大電車」の通称で呼ばれるこの電車は、開業当時は人力車や乗合馬車の倍の値段であるにもかかわらず、約10kmの距離の移動に約1時間かかるほど電車のスピードが遅かったという。そのため、「馬車より速い電車にどうぞ」の宣伝文句にクレームが付けられた結果、馬車と電車との速さ競争まで行われ、しかも馬車のほうが一瞬早く到着したという逸話も残っている。また、1911年11月には国鉄(当時は鉄道院)の豊州本線(現・JR日豊本線)の別府~大分間が開通し、同時に別府駅と大分駅が開業。北九州・小倉と大分とが鉄道でつながった。

大分銀行赤レンガ館(左)とトキハ本店(右)
大分銀行赤レンガ館(左)とトキハ本店(右)

 14年4月には犬飼軽便線(後に犬飼線、現・JR豊肥本線)の大分~中判田間が開通したほか、15年10月に大湯鉄道(現・JR久大本線)の大分~小野屋間が開通。さらに19年2月には前出の別大電車も大分駅に乗り入れ、大分市・大分駅を起点とした鉄道網が形成されていった。また、14年3月には大分~坂ノ市間でバス運行が開始。15年10月には大型船の停泊も可能な大分港(現・大分西港)が完成し、陸・海の交通インフラの整備が進んだ。

 また、中心部では都市化が進んでいき、大分市では13年10月の二十三銀行本店(現・大分銀行赤レンガ館)や15年7月に大分銀行本店など、西洋式のモダンな建築物が相次いで建てられ、近代的な都市がかたちづくられていった。また、34(昭和9)年10月には県内初の百貨店となる一丸デパートが開業したほか、36年4月にはトキハデパート(現・(株)トキハ)も開業。大分駅や市庁舎、県庁舎の周辺などの中心市街地は、県都にふさわしいにぎわいを見せていった。

(つづく)

【坂田 憲治】

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